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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

工藤のおっさんを見よう!

工藤のおっさんを見よう!

もうそろそろ、高校野球の選抜大会が始まります。
NHKが一日中、全試合をノーカットで流してくれますが、
最近はほとんど見ることはありません。

当たり前のことですが、普通の生活をしていれば、
見る時間などほとんどないのが普通。

高校野球を一日中見ていられたのは今から考えると
小学校の高学年から大学に入るまでの時期でしょうか?

その最後の年?1981年の夏の話です。

私は郷里の岐阜県で高校野球の地方大会を見ていました。

岐阜県では、当時岐阜県の県予選以外に、愛知県予選も
準決勝から放送していました。

名電工(名古屋電気工業高等学校)のエースの工藤公康は
大府高の槙原(寛己のち巨人)とともに三羽ガラスといわれ
注目の存在でした。

しかし、体も大きくないし(私と同じくらい)
ストレートもまあまあ、見た感じ
それほど大した投手ではないように思われました。

実は、工藤は甲子園へ行くまでに魔球をマスターします。
その魔球とはカーブ。

遊びで投げたら、曲がったので実戦で使ったと
言いますが・・・本当でしょうか???

一見なぜあの球が打てないか判りません。
簡単に打てそうに見えるのですが・・・

左腕から投げられるその球は、完全にボールになるコースから
鋭く落ちながら曲がってストライクゾーンをかすめていきます。

魔球を手に入れた工藤は甲子園でノーヒットノーランを演じます。

あれから28年。

自称「ハマのおじさん」こと工藤公康は
西武・ダイエー・巨人・横浜とプロ野球界を渡り歩き、
通算222勝を挙げて大投手の仲間入りを果たします。

それ以上に驚くべきことは、今年、登板すれば
実働(現役生活)28年という大記録を達成します。

17個の打撃タイトルを取り、監督兼選手として
優勝まで経験しながら、解任されても現役を引退することを
潔しとせず、球団を変えながら現役にこだわった野村克也でさえ
粘ったあげく26年の現役生活でバットを置きました。

それより2年も長いとは!

ちなみに、私は大学からドロップアウト。
紆余曲折の人生を歩みながら、現在は徳島の寺院の居候。

その間、ずっと工藤はプロ野球界に身を置いていたのです。

がんばれ!
工藤のおっさん!

最終更新日 2009年03月19日


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